■ 2012年6月17日 民主化が進むミャンマーを取り巻くアジアのヘゲモニー ミャンマー最大野党「国民民主連盟」(NLD)党首のアウンサンスーチー氏は6月16日、ノルウェーの首都オスロで、1991年に贈られたノーベル平和賞の受賞演説を行い、自由や平和を享受できる世界を訴えた。
こうした民主化がもたらす商機に乗り遅れまいと、日本企業のミャンマー進出の気運が盛り上がっている。例えば、全日本空輸はミャンマーへの定期便を12年ぶりに再開、味の素は13年ぶりにミャンマーでの製造販売を再開する方針を発表した。東京証券取引所と大和証券グループ本社も、ミャンマー中央銀行と、ミャンマーにおける証券取引所の設立を支援する覚書を締結し、2015年までに創設する計画とのことである。この設立支援は、1996年に大和総研がミャンマー中央銀行と店頭取引所であるミャンマー証券取引センターを立ち上げてきた頃からの成果らしい。経済産業省も日本企業のミャンマー進出をインフォーマルに後押ししていると聞いた。
日本企業が持つミャンマーの魅力として、マスコミ報道で耳目に触れるのは、埋蔵量世界10位を誇る天然ガスなどの資源、人口6,200万人で2010年度の1人あたり国内総生産(GDP)702ドル、労働者の月額平均賃金は中国、タイ、ベトナムの半分程度の95ドルとも言われる安くて若い労働力、世界の工場である東南アジアと振興消費国インドを結ぶサプライチェーンとしての地の利といったところだろう。
ASEANは関税や非関税障壁の撤廃などを通じた経済統合を進めており、ミャンマーでもその一環として、例えば今年4月の管理変動相場制への移行、ミャンマーで生産した製品に対する輸出税の段階的引き下げ、中古自動車の輸入規制の緩和など、経済の開放を志向する規制緩和が進められている。
しかし、一連の制度はどれを見ても、日本が米国の外圧から進めてきた構造改革の過程で導入した新自由主義に基づく制度である。これらが日本の国民経済にもたらした負の影響は明らかであり、多くの民がデフレに苦しんでいる。それらの制度の功罪を総括しないまま、民主化、自由化、国際化という空疎なフレーズばかりが飛び交うビジネスモデルを、今度はよその国であるミャンマーで展開することを推奨している日本政府の姿勢には、多いに疑問を感じる。
見方を日本の国益の観点に変えてみると、むしろ、ミャンマーに関して日本は出遅れてしまったと呼ぶ方が分かりやすいかもしれない。戦後日本のミャンマー外交は、米国のミャンマー敵視策に追随してミャンマーでの利権を自ら手放す愚策を続けた結果、その多くが中国、インド、韓国に先取りされてしまった。それを象徴的に示すのが、2009年3月、中国とミャンマーの政府系石油ガス会社が、ミャンマーから中国南部の雲南省まで、原油と天然ガスのパイプラインを敷設する契約を締結したことだ。既にミャンマーは中国の覇権の中に組み込まれており、あっさりした言い方をすれば、中国の属国となっている。戦後日本のミャンマー外交は、自律性なき米国依存外交の縮図であり、アジアにおける中国と米国のヘゲモニー(覇権)争いにおいて進行してきた力学の大転換を見過ごし、日本の国益にもつながらなかったとの批判を免れない。
歴史を戦前まで遡れば、日本は旧ビルマの独立に大きく貢献しており、常識的に考えれば、戦後のミャンマーの発展についてビルマ人が持つ日本に対する期待度は潜在的に高かったはずだ。1886年からイギリス領インド帝国の一州に編入されたビルマでは、インド人や華僑が入ってきて金融や産業を独占し、もともと住んでいたビルマ人は最下層の農奴にされた。日本軍は1941年の大東亜戦争後間もなく、援蒋ルートの遮断を目的としてビルマへ進攻し、ビルマのアウンサン将軍と共にイギリス軍を駆逐し、結果的には、1943年にビルマの独立を宣言している。その後、牟田口廉也中将指揮するインパール作戦の失敗から日本軍の敗北が濃厚と見るや、アウンサン将軍は、イギリス軍に寝返ってしまい、イギリス領に戻るが、1948年にビルマとして独立する。いずれにしても、日本軍がビルマの独立の基礎に貢献したことは確かである。
ところが、問題は1962年以降の軍事政権時代に日本が採用したビルマ外交である。ネ・ウィン将軍によるクーデターで生まれた軍事政権は経済政策に失敗し、インフレとデノミにより国民の財産は失われた。民主化圧力が高まり、1988年一党独裁のネ・ウィン政権の退陣を求める8888民主化運動が起こった。このとき、アウンサンスーチーが選挙で勝ったのに、軍部は政権を委譲しなかったため、米国は人権外交だとして、ビルマに経済制裁を加えた。そして、日本は米国の経済制裁に乗りかかってしまう外交を採った。結果として見ると、これは日本の国益から見て誤った外交であったと思う。
というのも、当時からアウンサンスーチーに対するアジア周辺国の態度は極めて現実的であった。中国は英国諜報部員だった夫を持つアウンサンスーチーを英国による不安定化策略と疑ってきたし、ASEAN加盟諸国も、米国が対中包囲網のパートナーとしているフィリピンとインドネシアを除けば、中国との関係でミャンマーの利権を確保するため、アウンサンスーチーを支持していなかった。そのようなアジアのヘゲモニー(覇権)争いのダイナミズムが起こっているのに、経済制裁に固執する米国に日本が盲目的に追随した過程で、ミャンマーは、米国に敵視されて孤立するどころか、中国を中心に、インド、東南アジア諸国によるアジアの多極化ヘゲモニー(覇権)に組み込まれていった。
ところが、日本のマスコミは、アウンサンスーチーの自宅軟禁などという矮小化した情報だけを伝達し、ミャンマーを取り巻くアジアの多極化ヘゲモニー(覇権) 争いの実態を正しく報道しなかった。そのため、日本では米国の価値に沿った行動をしているアウンサンスーチーを批判することはタブーとされ、日本が国益の観点から採るべきミャンマー外交のあり方が議論されず、結局のところ、本来なしうるはずの友好な関係構築の機会をみすみす逃してしまった点で、日本が失った国益は大きい。あっさり言えば、政府が自分の頭で国益を考える外交を行っていれば、日本企業はもっと早い時期にもっと有利なビジネスをお互いの発展のためにミャンマーで展開できただろうということだ。
まさに戦後レジームで米国一極ヘゲモニー(覇権)を妄信するあまり、ほとんど脳死状態といえる日本の外交の無策がもたらした当然の結末と言える。これからミャンマーに進出する日本企業の経営者は、目先の事業環境だけでなく、ミャンマーが経てきた歴史にも目を向けるべきだろう。今のミャンマーが、どうしようも抗いようのない歴史の必然で、中国を中心とした多極化ヘゲモニー(覇権)に取り込まれている事実、そして、もっと恐るべき可能性は、これから10年程度の未来に、アジアで中国を中心とした一極ヘゲモニー(覇権)が席捲するかもしれないリスクを踏まえて、経営戦略を考えることが肝要だ。
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