■ 2017年6月7日 「古文の授業なんか時間のむだだ。現代語訳で読めばいいんだよ。」
高校のときそんな声をよく聞きました。
私が3年間過ごした理数科は、体育と芸術を2こま減らし、理科と数学の授業にあてるというクラスでした。
同級生のほとんどが研究者や医者になっています。
そういう人が古典になにを学ぶかは自由です。
しかしそもそも古文を読むとはどういうことか。
目的や動機がなんであれ、古の人の精神におのずから行き当たる動作です。
精神は肉体という形に宿る。
肉体が滅した後、精神を宿す形は、肉体が残した言葉をおいてほかにない。
心を通わせたい目の前の友だちと話すために、わざわざ通訳や解説をはさむ人などいません。
言い換えたり、まとめたりした瞬間、言葉が宿す精神は雲散霧消する。
言霊でしょうか。
等身大のままの偉人に会いたいから、非効率に見える原典をたどるのが効率的な近道だと思うのです。
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